「お世話になった親の期待には応えたい」
「退職して違う道を選んだら、お世話になった先輩への恩知らずだと思われるかもしれない」
そんな思いから、自分の希望を言えなくなることはありませんか。
感謝や期待に応えることは大切な関係を支えるものです。
しかし、相手の期待と自分がやりたいことや希望が異なったとき、どちらを選べばよいのか迷うこともあります。
今回は『遊戯王OCG』の「教導の死徒/デスピアの凶劇」を入口に、誰かに従うことと、自分の意思で人間関係を選ぶことについて考えてみましょう。
仮面を外し、選んだ相手にだけ素顔を見せる
『遊戯王OCG』には、カードのイラストや設定資料を通じて語られる物語があります。
「教導の死徒(チャプレーン・ドラグマ)」と、その後の姿と思われる「デスピアの凶劇(アドリビトゥム)」も、ショートアニメにもなった人気シリーズである『白の物語』の登場人物です。

「教導の大神祇官」(「デスピアの大導劇神」/「凶導の白き天底」)に仕えていた彼は、やがて「深淵の獣アルベル」と行動を共にし、主であるはずの「教導の大神祇官」の命令を無視するようになります。
その変化を考えるうえで印象的なのが、「烙印の即凶劇(エチュード)」のイラストです。

奥にいる、傅いている銀髪の人物が凶劇。その顔は『深淵の獣アルベル』の翼によって隠されている。
それまで仮面で素顔を隠していた彼が、仮面を外しアルベルに傅いています。
ただし、その顔はアルベルの翼に隠れており、カードを見る私たちには見えません。
秘匿されていた素顔を向けられているのは、あくまでも目の前のアルベルだけなのです。
ここまではイラストの描写ですが、その意味については解釈の余地があります。
単に仕える相手を変えただけでなく、「誰に自分自身を見せ、誰の傍にいるか」を彼自身が選んだ姿とも読めるのではないでしょうか。
「役割としての自分」と、その奥にある気持ち
仮面を、「教導の大神祇官」に仕える人物という役割や立場の象徴として読むこともできます。
実際に「教導の大神祇官」からは「私の半身(アサシン)」と呼ばれており、重用されていたことが伺えます。
主に仕える者として振る舞い、求められた役目を果たす。
そのあり方が伺える一方で、表情が読み取れない故に本人の望みは外から見えにくいままです。
だからこそ、仮面を外す描写には、役割だけでは捉えられない一人の存在が感じられます。
現実でも、「しっかり者で頼れる人」「親の期待に応えてくれる子」「何でも引き受けてくれる同僚」といった役割を担うことがあります。
それ自体が悪いわけではありません。
しかし、期待に応えることを優先するあまり、自分が真に何を望んでいるのか分からなくなることがありませんか?
「周りから抱かれる印象が良いものであったとしても、それを変えたい」と思うことは、それまでの自分をすべて否定することなのでしょうか。
凶劇の変化は、そんな問いを投げかけているようにも見えます。
心理学でいう「自律性」は、誰にも従わないことではない
心理学の「自己決定理論」では、自分の行動を、自分の意思や価値観に沿って選んでいる感覚を「自律性」として重視します。
ここでいう自律性は、誰にも頼らず、一人で生きることとは異なります。
人の助けを借りたり、誰かの提案に従ったりすることも、自分が納得して選んでいるなら、自律的であり得ます。
この視点で見ると、凶劇が最後に「傅く」姿を選んでいることは興味深いものです。
誰にも従わなくなることだけが、自分の意思を持つ表現とは限りません。
同じように主に頭を下げる姿でも、「そうするしかない」と感じているのか、「この相手についていきたい」と望んでいるのかで、その意味は変わります。
現在公式から判明している情報だけでは彼の内心は断定できませんが、仮面を外して相手に向き合う構図には、自らの意思で関係を選び直すことを読み取る余地があります。
素顔を見せる相手は、自分で選んでいい
もう一つ大切なのが、素顔が私たちには見えないという点です。
仮面を外したからといって、すべての人に自分を公開したわけではありません。
「隠すか、全部見せるか」の二択ではなく、特定の相手にだけ見せるという表現になっています。
現実の人間関係でも、誰に、何を、どこまで話すかを考えてよいのです。
職場では話さない悩みを友人には話す。
家族には言葉にしづらいことを支援者には相談する。
それも、自分に合った関係の持ち方です。
「素の自分でいる」とは、誰の前でも同じように振る舞い、何もかも明かすことではありません。相手には見せない部分を残しながらも、誰かと関わることもできます。
自分で選ぶことと、安心できる関係を見極めること
ただし、素顔を見せて傅いたことだけで、アルベルと凶劇の二人の関係が対等で安全だとまでは言えません。
自分で選んだという感覚と、その選択がもたらす結果は、別に考える必要があります。
現実の人間関係なら、「自分が嫌なことを断っても受け入れられるか」「相手と意見が違っても、自分の考えを尊重されるか」も、関係を振り返る手がかりになります。
また、お世話になった人への感謝と、これからも同じ役割を続けるかどうかは分けて考えられます。
必要な話し合いや責任を大切にしながら、違う希望を持つことまで「裏切り」と決めつける必要はありません。
誰かを大切にする気持ちと、自分の望み。
その両方を言葉にするところから、選び直しは始められます。
自分の気持ちを整理し、自分の人生を選ぶために
「本当は違う道に進みたい。でも、お世話になった人をがっかりさせたくない」
「周囲の期待に応えることが当たり前で、自分がどうしたいのか分からない」
そんなとき、すぐに答えを出す必要はありません。
まずは「相手への感謝」「期待に応えなければという気持ち」と「自分自身の希望」を、一つずつ分けて考えてみることが出発点になります。
感謝しているからこそ言いづらい気持ちも、言葉にしてよいのです。
ほっとナビチャレンジでは、自立訓練(生活訓練)を通じて、自分の得意・苦手や生活上の困りごとを整理し、その人に合った暮らし方を一緒に考えます。
「どんな生活を送りたいか」
「何が負担になっていて、しんどく感じているか」
「どのような助けがあれば取り組めそうか」。
もし、あなたが「期待を応えるのがしんどい」「頼まれたものを断れるようになりたい」のなら、断る練習などもスタッフやVRプログラムを通じて行うことが出来ます。
「しんどいけれど、何が原因かわからない」「自分がどうしたいかわからない」など、まだはっきりした目標がなくても、日々の経験を振り返りながら、自分の希望を少しずつ確かめていくこともできます。
また、ほっとナビ訪問看護ステーションでは、心の悩みや日々の生活について相談しながら、自分に合った過ごし方を一緒に考えます。
身近な人には話しづらい気持ちも、支援者と一緒にゆっくり整理していくことで、どう伝えるか、どのような距離で関わるかを考えるきっかけになります。
自分で選ぶことは、一人ですべてを決め、抱え込むことではありません。
誰かに話を聞いてもらい、選択肢を知り、ときには試したり考え直したりしながら、自分が納得できる道を探していくことも、自律的な歩みです。
仮面を外し素顔を見せる相手を選ぶように、相談する相手も、話す内容も、自分のペースで選んで構いません。
最初の一言は、「どうしたいのか、自分でもまだ分からない」でもよいのです。
これまで支えてくれた人への感謝を持ちながら、これからの生き方を選び直すことはできます。
誰かを大切にする気持ちの中に、自分自身も含めてよいのです。
そのための一歩を、一緒に考えてみませんか。

